こんにちわ!
暑さ厳しいですが皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか?
今回はシトロエン創成期に数々の冒険旅行をしたハーフトラックの話です
2017年6月2日に中央ショールームのブログに掲載したものを
加筆修正してのアーカイブになります。
面白いのは私たちはシトロエン側の人ですから
会社の歴史的に会社が始まった頃に自社の自動車の性能や技術力の高さを世界にアピールするために冒険旅行を実施したと思っていますが
ナショナルジオグラフィック側の記事をいろいろ探して読んでいると
「シトロエンは現在では自動車会社として知られていますが、当時は冒険旅行の会社でした」みたいなことが書かれているんですよ
冒険旅行の会社ってw
前にも書いたかもしれませんが、我らがファウンダー:アンドレ・シトロエンさんはヘンリーフォードにあこがれて自動車屋を始めましたが
この人はデザイナーでもエンジニアでもありません
あくまで経営者で、自分の会社を大きくするのにたまたま自動車がこれからイケる!と思っただけで
もしかしたら、他の事業に進んでいた可能性もあったのかもしれませんね。
などと思いつつ
それでは始めましょう!
アンドレ・シトロエンは自分の会社の車の耐久性と信頼性を世界に発信するためナショナルジオグラフィック誌と組んで自動車で探検する企画を始めました。
最初は1922年のサハラ砂漠横断
次に1924年「黒い巡洋艦隊」アフリカ大陸縦断
そして1931年の「黄色い巡洋艦隊」と続きます
その際に使用されたのがハーフトラック
ハーフトラックのトラックはTRACKで貨物トラックなんかのTRUCKではないです
日本語では「半装軌車」と訳されます
ハーフトラックは前輪タイヤ、後輪キャタピラで動く悪路走破用の車両です
ロシア革命でフランスに戻ってきたアドルフ・ケグレスの特許を使ってシトロエンで作られました。
ケグレスはニコライ2世の御用車両技師としてロシアに行き、ロシアの厳しい冬季用の車両として市販車両の後輪をゴム製の無限軌道にして雪中走行に対応するシステムを開発しましたが革命で失職
帰国後その技術はシトロエンに持ち込まれ、その走破性を立証するために冒険旅行を企画、という流れになります。
その後ハーフトラックは第2次世界大戦中多くの軍隊で使用されていました
通常のタンクは左右のキャタピラの操作が独立していて2本のレバーで運転するのですが、当時はまっすぐ走らせるにはかなり技術と熟練が必要だったのに対して
ハーフトラックは操舵を普通のハンドルで行えるメリットがあったようです。
最初のサハラ砂漠横断は5台のハーフトラックを使って22日間で走破
当時のヨーロッパっぽいと思ったのは1台はワイン用という所でしょうか
サハラ横断がフランス領(当時)のみの通過だったの対し
次のアフリカ縦断からは規模が大きくなります
ハーフトラックも8台を用意、医者やカメラマン、画家、動画撮影係、動物学者、地質学者、料理係、散髪屋、楽器係、総勢16人で行ったようです。
フランス大統領(当時はデシャネルかミルランか?)の要望によって最終目的地は仏領マダガスカルになりました。
サハラ横断もアフリカ縦断もチームを率いたのはジョルジュ・アルートという人
アンドレさんの盟友で当時専務だったそうです
この方綿密な計画を立てて準備をし、一人も死ぬことなく帰還することを最優先に動いたかなりえらい方ですがアジア横断後香港でお亡くなりになります
最終目的地は仏領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)だったそうですがアルートの死をもって計画は終了しました。
アジア横断は途中でソ連が通行許可を出さなかったり、山越えをするのに車をばらして運んだり過酷を極めました
記録映像なんかも結構残っているみたいですのでご興味のある方はご覧ください
その後北極横断なんかも企画されたようですが、アルート亡き後また、アンドレ・シトロエンの死後は実行されることはありませんでした。
これを書こうと思って色々調べたら
ルイ・ヴィトンがシトロエンに依頼されてスペシャルオーダーの旅行用ケースを納入した、なんて話も出てきます。
(ルイ・ヴィトンの資料写真が美しい)
また、今年電気自動車を含めた最新型の車両とレストアしたハーフトラックを使ってサハラ砂漠横断をもう一度やる
なんて記事も見つけました、コロナ禍のなか実施されたのでしょうか?