先日,オフの日に美術館へ行ってきました.
渋谷の一等地に位置する,渋谷区立松濤美術館です.
電車の駅としては,神泉駅が最寄りですが,
渋谷駅から歩いていくことにしました.
駅構内からかなりの混雑ですが,
外に足を踏み出すと更に人・人・人.
若者の街と言われている(いた?)だけあって,
かなりの騒々しさはこれから美術館へ向かう気分とは真逆です.
そんな人波をかき分けて,109や東急百貨店を尻目に歩くと,
段々人出が落ち着いてきて街並みがこざっぱりしてきます.
そして美術館が位置するのは,歓楽街からは想像もつかない閑静な場所.
住宅街に突然何かの舞台が出現したかのようです.
調べてみると,既に開館から40年近く経過しているのですね.
開催されていた企画展は『終わりのむこうへ:廃墟の美術史』.
会期は1月31日まででしたので,もう終了していますが,
自分自身,従前より興味を持っていた主題で面白かったです.
展示は概ね年代順に進行し,終わりの方は日本の作品になっていました.
(途中にも日本のものはありましたが……)
個人的に惹かれたのは,ジョヴァンニ・ピラネージとポール・デルヴォーでしょうか?
廃墟の意味を調べますと,「建物・市街などの荒れ果てた跡」と出ます.
その字面通り,廃墟というとそれこそ打ち棄てられて荒廃した場所を
想起するのですが,一口に廃墟とは言ってもかなり幅広いのだなと感じました.
同じ場所でも,画面内に人がいる・いないで印象が異なりますし,
画面の明暗はもとより荒廃の進行具合など…….
人は何故廃墟に惹かれるのかという疑問に対し,展示の一画において
『過去への愛惜』『生きることへの希望』という要素が挙げられていました.
これに対しては,なるほどそうだなあと得心した一方で,
滅びゆくものがもつ刹那的な美しさもまた魅力であることは
敢えて私が言うまでもないのかもしれません.
日本で言うと麻田浩,野又穣の作品も良かったですね.
ここ最近,ウェブ上などで,廃墟という単語はよく見る気がしますが,
その「廃墟」においては廃病院であったり廃業した旅館であったり,
どこか陰翳を伴った響きを持っているように思います.
そのイメージを抱えていった私としては,
廃墟といってもきれいだったり新しかったり,明るかったり……
そうした画面を見て意外の感に打たれるとともに,
こうした儚い美しさというものは新旧を問わないのだなと思いました.
力技でシトロエンの話に繋げますと,
古い(朽ちかけた?)フランス車としてイメージするのは
なぜかシトロエンが多いです.
(私だけかもしれませんが)
トラクシオン・アヴァンだったり2CVだったり,そういう印象が強いのかな?
今回の展示で,フランス車は描かれていませんでしたけどね…….