明日は3月11日で、東日本大地震と呼ばれる地震から10年になります
個人的にはもう10年?と思いますが
中学生だった息子が社会人になり
小学生だった娘が高校生なのですから、まあ着実に自分は年を取っているのですがw
ここの所テレビでドキュメンタリーが放映されて
今更ながら津波の映像はものすごく
見ていて怖いですよね、でも目が逸らせない
当時皆さんはどこで何をしていらっしゃいましたでしょうか?
天野はシトロエン青山というところにいました
場所的にいうと246をはさんで青学の対面、国連大学の隣
青山オーバルビルという楕円形のビルの1階エントランスの奥を少し仕切って作られた土間みたいな店でしたが
翌日からの土日で店頭の公開空地を使ってイベントを企画して
その日の夜にレンタル屋さんにテントや椅子を借りに行くつもりでいました
揺れ始めた時に事務所にいたのですが、まず出入り口を確保しないと、と思って裏口を開け放ち
外に出た時に隣の新しく出来たラ・ポルト青山のガラス張りのビルが
もう外から見てびっくりするくらいうねっていて
お店に目を移すとそこの店はエントランスなので天井まで10Mくらいあって
クルマを照らすのに天井からスポットライトを吊り下げてあったのですが
その照明が空中ブランコみたいにゆさゆさ揺れていました
揺れがひとまず収まって、特に店内被害が無く
大きかったね、とか言って、その時はまだ事の重大さに気づいてなかったのです。
とりあえずスタッフには家族の安否を確認するように言って
状況をなめてた天野は新宿のレンタル屋さんにテントとかを取りに行くため出かけました
そしたら道路の混雑がどんどんひどくなり
片道20分くらいで行くはずの新宿の往復に6時間以上かかってしまう羽目になってしまいました
あの日歩いて帰った人、自転車を買って乗って帰った人たくさんいたと思います
クルマの中のラジオで状況が色々入ってきて、これはもう週末イベントどころじゃないな、とは思っていましたが
20時くらいには土日の営業を見合わせる旨の連絡が総務からあったように思います
結局日付が変わるころに店に戻ってきて(イベント用テントは借りた)
そのころには田園都市線は動いていたので天野は電車で家に帰れました
家族もお店のスタッフも全員無事で、思えば東京は当日よりその後のほうがキツかったのかもしれません
電車の本数が減り、駅には人があふれ、スーパーからトイレットペーパーや米が無くなり、ガソリンスタンドが給油制限をする
便利な都会の生活は結構もろかったのです
電気が止まってタワーマンションに住んでいる人は上り下りが大変だったようですし
埋立地の液状化もあった
あの時の事をもう一度思い出して、やらないといけないことがちょっとあるように思います
10年たって少なくともこちらの生活は元に戻っていますが、東北のほうは未だに仮設住宅に住んでいる方がいらっしゃいますし
福島は家に戻れない人がたくさんいます
今日、明日は家族と友達とあの日何をしてどうだったのか
話しあって考える必要があると思います
備蓄を見直すとか、クルマにはガソリンを余裕をもって入れるとか
停電になったらクレジットカードもペイペイもスイカも使えないですからね、現金だって多少持っておかないといけないでしょう
そして犠牲になった人に祈りをささげて
たぶん今度同じような災害が起こった時に、少しでもましに自分が動けるように
助け合っていけるように生きていきたいと思います
天野でした、今回写真無しですが
霞んでいます今日に富士山載っけておきます
次回は車の話も書きますね