スタッフブログ

天野 恭太郎

顧客感謝祭はじまりますよ!

[2020/08/01]

スタッフ:
天野 恭太郎
カテゴリー:
ショールーム日記
今日は久々のお客様感謝祭です
商売抜きです!

昨夜全員で遅くまで準備しました
今朝も除菌と掃除と準備に余念が無いです

ピザカーも来て窯に火が入りました

こんな時期ですので、密にならないように
予約を承っております

まだ時間帯によっては若干余裕がありますので
お問い合わせください

ただ、通常の修理や新車のお問い合わせなどは
お待ちいただく事もありますので
ご了承ください
今回の企画は

オリジナルエコバッグ作製

描いたイラストがバッグになります

うちの優秀なメカニックがレクチャーします

絞り出しアイスクリームコーナー

ハイドロ部長渾身の企画!
(原が力ずくで絞り出すわけでは無いですが)

ただちょうどいい温度で絞り出さないと
良い感じのクリーム状にならないので
適温になるまで少し時間をください

貝殻リース製作教室

材料等全てこちらで準備します




梅雨も明けたんじゃないですかね
今日は朝から良い天気です

駐車場あけて
窓開けて
換気しながら

ご来場をお待ちしております
11時スタートです!

天野 恭太郎

日々の諸々

[2020/07/17]

スタッフ:
天野 恭太郎
カテゴリー:
ショールーム日記
雨が続きますね

九州、中国地方、信州の大雨の被害にあった方々
お見舞い申し上げます

こちらはしとしとだらだらの雨です
梅雨明けはまだかしら、と考えるくらい呑気なもんで
一日も早い復旧を祈りながら
日々過ごしております

そういえば今年は台風まだ来ませんね
フィリピン沖の海面温度が高いと台風が起こりやすいようで
今年はまだ海面温度がそれほど高くなっていないのか
逆にそのせいで梅雨前線を押し上げる力が足りずに
列島にずっと寄り添っているのか

新型コロナウィルスの感染拡大も続き
今日も東京都は一日の感染者数の記録を塗り替える
そしてGO TOキャンペーンが始まる
と、色んな人の色んな思惑や利権が絡まって
私なんか何をどうすればいいのかよくわからず
仕方ないので粛々と仕事をしております

新型コロナは現在6系統に分化しているそうで
欧州型の最新種「G型」は特に感染力が強く重症になりやすいそうです
驚いたことに免疫が出来ても他の系統のウィルスに感染して発病する可能性はありますし
免疫自体もある程度時間がたつと消える!なんてことも言われています

とりあえず、まずはうがい手洗いですね
お互い気を付けていきましょう!



先週のお休みに「一生に一度は映画館でジブリ」と言うので
ひとりこっそり行ってきましたよ
「もののけ姫」
この作品は97年公開なので、天野が車屋になった翌年、仕事ばっかりしていた頃なのでちゃんと見たことなかったのです


紀州に天野というところがあって、大きな神社があって(世界文化遺産)そこは丹生都比売(におつひめ)が祭られています
丹生都比売は主砂(硫化水銀)の採掘をつかさどるそうで
「もののけ姫」に出てきた鉄の採掘をするタタラ場とは遠い親戚のようなものなのかと

昔色々調べたのですが天野の系統は大きくふたつ
紀州の古代からある天野と南家藤原の工藤家から分家して伊豆の天野に移住して土地の名前をもらって天野を名乗った天野

実家の家紋は下り藤なので多少つながりがあるのは後者なのでしょう
平家討伐でいざ鎌倉!西日本に攻め込んでそのまま土地に住み着いた部類?

日本人の苗字はかなりいい加減に明治の初めに何となく全員に付けさせたので、勝手に考えているだけで何の根拠もありませんw

ただ、うちの祖父は元々紀州の人で酒屋のお嬢さんでなーんにもしない祖母のところに婿養子に来て天野になった人ですが
頑固でまっすぐな祖父が婿養子にでも行こうかと思ったのは苗字が天野だったからかもしれないな
などと思っています

あれ?「もののけ姫」から遠く離れちゃったよ、すみません
この映画の面白いところは何も解決していかないところでしょうか?
ある意味アメリカンニューシネマみたいな(時代劇だけど)

いい作品だし面白かったけど2時間オーバーはちょっと長い、気がしました。




≪アーカイブ≫でハーフトラックの事を書いた昔のブログの焼き直しをしようと思って、加筆というかその時調べきれなかったことを色々見てます
次回はハーフトラックで一席!



キャンペーンは今週最終の週末になります
購入クーポンや0%金利!またまたシトロエン横浜緑のオリジナル施策と盛りだくさんで皆様のご来店を消毒しながらお待ちしております!


天野 恭太郎

トラクシオン・アヴァン≪アーカイブ≫

[2020/07/08]

スタッフ:
天野 恭太郎
カテゴリー:
ショールーム日記
こんにちは、天野です
一部のコアな人たちにだけ好評!≪アーカイブ≫シリーズです

今回は2017年5月17日、5月25日、5月30日、6月2日、6月13日、6月20日
6回にわたってシトロエン中央のブログに書いた「もうすぐ100年、ちょっと昔の事」
というシリーズの文章を加筆、修正して再構成しました。

結果的にトラクシオン・アヴァンの話が多かったのでタイトルも変えて
新興自動車マニファクチュアラーだったシトロエンがフランスでのし上がっていく過渡期のお話です。

それではどうぞ!
我らがファウンダー:アンドレ・シトロエンがジャベルの川っぺりに生産工場を作ったのは第一次世界大戦中です。

アンドレさんは砲兵大尉として戦争に行きます、その時フランス軍の弾丸が足りないことを痛感し司令部にかけあって「1日5万発作る!」という約束で軍に(政府に?)作ってもらったそうです
ここでアンドレさんはフォードが自動車でやっている流れ作業の組み立てを砲弾作りに取り入れ生産量を確保、戦後軍需産業で得た資金を元手に自動車会社を始めました。

会社の名前に自分の名前が残っていますし、ヨーロッパに自動車の量産をもたらした功績は大きいですが、
ムッシュシトロエンの拡大路線がたたって1934年会社は経営破たん

ミシュランが資本参加して倒産は免れますが、ミシュランの経営参加の条件はムッシュシトロエンの退任!

創業から15年シトロエンはシトロエン社を去り、翌年胃がんを患い亡くなりました。
(個人的には、シトロエンの死は政権を追われて、スターリンに好きにやられてる母国を憂い悔しさのあまり血の涙を流して死んだと言われるレーニンをなぜか思い出すのです)

その後会社は何度も危機を乗り越え75年に同じフランスのプジョーと合併、現在に至ります
(今ではフィアット・クライスラーと経営統合ですもんね、時代は動いています)

オートモービルシトロエンは昨年で100周年
シトロエンという名前は付いていますが、シトロエンのシトロエンだったのはたった15年です。
それではシトロエンという自動車のシトロエン足りえているのは何か?
シトロエン車の経営破綻に関しては世界恐慌の時流を読み誤った
というのが一般的な評価だと言われていました
ただ、自社の車を進化させるための準備を進めている最中だったことは間違いがありません

トラクシオンアヴァン 世界初の量産FF車であるこの車はシトロエンが社運をかけて(最終的には自分の命をかけて)準備を進めていた新機軸です

この車両は前輪駆動車というだけでなく、量産車として新しい技術をたくさん盛り込んで計画されました
モノコックボディ、フロントダブルウイッシュボーンサスペンション
トレーリングアームリアサスペンション
等速ジョイント、油圧ブレーキ、新型OHVエンジン
ギアボックス(当初はATの採用が考えられていた!!)
ラックアンドピニヨンステアリング

おそらくアンドレシトロエンは当時の最高水準の車を作りたかったのでしょう
現在当たり前にクルマについている技術が多くこの車で初めて量産されようとしていました
そのためにジャベル工場を大改装しアメリカなどから多くの工作機械を買い付けてトラクシオンの発売をうかがっていました。

ライバル(当時)のプジョーやルノーが自社工場の近代化をすでに済ませており自分たちの資本だけで世界恐慌を乗り越えられたのに対し
シトロエンは世界恐慌が工場の改造にもろかぶってしまった上に、アメリカ型の近代ビジネスを標榜していてマーケットに多く資本を募っていたことも悪いほうに傾いた要因になりました。


アンドレシトロエンが会社を去った後、社長になったのがピエールミシュランです

ミシュランは今も昔も堅実なタイヤメーカーですので、アンドレ・シトロエン株式会社をアメリカ資本に売却することも考えたそうです
ただ、トラクシオンアヴァンの出来上がりを見て、傘下にすることを決めたと言われています。

ただ、当時からプジョーやルノーの国内メーカーに多くタイヤを供給していたミシュランにとっては自社で自動車製造部門を持つという事には抵抗があったようで、シトロエン社はアンドレ・シトロエン株式会社という名前のまま別会社として存続することになりました。

そのころはまだ革新者としてのアンドレシトロエンが有名人だったこと
ナショナルジオグラフィックとの共同で行ったアフリカやアジアへの冒険旅行のネームバリューなどを無視できなかったのかもしれません。

ここで会社の名前が変わっていたら現在シトロエンというブランドは無かったかもしれません。


ミシュランはアンドレシトロエンの考える工業製品メーカーはイノヴェーターたれという哲学に共感していたとも言えますし、シトロエンというブランドの持つ哲学に挑戦する気持ちもあったのだろう、と書いた本もありました。
ピエールミシュランの後を継いでシトロエンの3代目社長となったのがこの人
ピエール・ブーランジェさんです1938年から1950年まで就任しました。

ピエールミシュラン時代の副社長を務めピエール・ミシュランが事故で亡くなった後会社を引き継ぎました。

2CVの父と言われるブーランジェと技術者アンドレ・ルフェーヴルのミシュラン傘下の黄金時代の幕開けです。

そして現在まで続くシトロエンという自動車のアイデンティティに色濃く影響を与えているのがこの時代の車たちなのです。
これは伝記本の表紙ですかね?

この写真にあるようにこの人はシトロエンでトラクシオンアヴァン、2CV、DSの開発に携わったエンジニアデザイナーです。
1894年生まれ、元々は航空機の技術者で第一次世界大戦時にはヴォアザンという航空機メーカーに勤めていました

ヴォアザンは飛行機の黎明期にヴォアザン兄弟によって作られたフランスの航空機メーカーで第1次世界大戦中にはフランスの海軍向けに多くの複葉機を生産しています
戦後1918年ヴォアザンは航空業界から撤退、自動車作りに転業します
ルフェーヴルはヴォアザンの自動車開発で中心的なポストにいた様です

ヴォアザンという会社は面白くて
戦後はプレハブ住宅なんかも作っています
自動車会社時代にはウッドとアルミで作られたモノコックのレーシングカー
(ヴォアザン・ラヴォラトワール、すごい形です!)
で1923年のグランプリでルフェーブルが完走しています。

芸術肌的な技術者、ガブリエル・ヴォアザンの下で航空機から自動車まで開発に携わったルフェーブル(テストドライブもこなしレースにまで出ていた!)にはヴォアザン流のエンジニアリングが染みついていたのでしょう。

ルフェーブルをアンドレ・シトロエンに紹介したのはガブリエル・ヴォアザンだったことを考えるとこれは運命か、必然か?

実際トラクシオンのモノコックも2CVも航空機のロジックで作られたとしか思えない、およそ従来の自動車らしからぬところがあります。

ブーランジェもミシュランもルフェーブルも第1次世界大戦で飛行機の虜になっていて、飛行機的なものに未来を見ていたのかもしれません
アンドレ・シトロエンが前輪駆動車の開発を考え出したのは1931年のアメリカへの視察旅行だったと言われています

従来の後輪駆動の自動車で充分!アメリカのビッグスリーは新しい方式の自動車開発には消極的でした
それに対しヨーロッパでは経済的にも脆弱でガソリン節約の必要性が高く、自動車の普及率も低かったことから、小型、軽量で経済的な新しい車の導入こそが自動車を増やす方法だと考えられたようです

フォルクスワーゲンに代表されるドイツはリアエンジン後輪駆動車を、我らがシトロエンは前輪駆動車を模索したわけです

さらにその前、フランスにはトラクタという自動車会社が前輪駆動車を量産しています

最終的にはアメリカのシャーシメーカーのパッド社、フランスのトラクタ社、さまざまな技術者との交流ののち、トラクシオンアヴァンは生まれたと言われます

ヴォアザンから来た伊達者アンドレ・ルフェーブル(飲み物は水とシャンパンしか飲まなかったそうです)彼が参加してトラクシオンアヴァンは発売にこぎつけられます

フラミニオ・ベルトーネデザインの流麗なデザイン、低くフラットな床、後部座席の広々感、トラクシオンアヴァンはフランスでセンセーションとなります

FFにする目的としては床下にドライブシャフトを通す必要が無いため
床を低く出来、ホイールベースの自由度が高く、居住性を確保できる
という事ですが
アンドレシトロエン的にはエンジンと前輪、モノコックと後輪それぞれ別々に作り、ラインでドッキングさせるという作り方によって量産の効率をあげられる、というのが大きな魅力だった気がします

そのために彼はアメリカから工作機械を仕入れ、ジャベル河岸の工場をトラクシオンの為に大改造し、大恐慌の波をかぶって、会社を傾けてしまい
大口株主だったミシュランに経営譲渡、トラクシオン発売の翌年、病気でこの世を去りました。

ふたつの大戦の間に生まれ、戦後まで改良を重ね作り続けられた時代を代表する車です。

映画「インディアナジョーンズ・最後の聖戦」で主人公がナチスの追跡から逃げるために道端でパンク修理をしていた農家のおじさんのトラクシオンを盗むシーンがありました。
要するに大衆車として広くヨーロッパ中で売れたのだと思います。


しかしあまりに多くの新しい技術を導入したため、トラブルが続出、それを辛抱強く改良し23年に渡るロングセラーにしたのはミシュランです
この本は80周年記念で発売されたもので90周年の時も同じような本が作られましたが、モデル別に解説をつけたこの本のほうが見やすかったです。

トラクシオンは7が88066台、11が620455台
4年遅れで投入された15が50602台作られました

当時ライバルのプジョー402の流線型(未来派です、マリネッティです!)に比べるとトラクシオンはかなりクラッシックに見えます。
逆を言えば変える必要が無かったとも言えますし、モノコックの作製の方法を考えると変え辛かったのかもしれません

しかしながら23年間ほとんど形を変えずに作られたトラクシオンはその後FFの車が世界を席巻することを考えると、イノベータ―としてのシトロエンのブランドイメージの向上に貢献したと言えます。

戦前のフェンダーが独立した形の自動車ではこんな車高の低い車は他にありません。

町でトラクシオンを見ることはまずありませんが、走っている姿は本当に美しく見とれてしまいます。
アンドレ・シトロエンが考え、ミシュラン傘下でピエール・ブーランジェとアンドレ・ルフェーブルが作り出して、ミシュランが育てた
トラクシオン・アヴァン(前輪駆動という意味)は世界の自動車のエポックとなり
(最終型には後輪にハイドロニューマチックを搭載したモデルまであったそうです)
シトロエンの名前を世界に知らしめることとなりました。

シトロエンはこれ以降は基本FFの車しか作っていませんし(競技車両や量産車の一部に4輪駆動はあった)シトロエンはFFのメーカーです。
今や世界の多くの自動車会社がFFのレイアウトを採用して、乱暴なくくり方をすると全部トラクシオンの子孫たちです。


僕はいつも「シトロエンらしいものなんて無い」って思っているのですが
変化を恐れず、変わり続ける、人まねを嫌い、イノヴェーターたれ!
アンドレ・シトロエンの精神は100年を超えて、変化を続けながら、やっぱり私たちの愛するこのブランドに息づいているのです。


切ったり貼ったりしながら6回分を1回にしたのでやっぱり長いですね
ここまで読んでいただいた方に感謝!
天野でした。

天野 恭太郎

C3はプチシトロン≪アーカイブ≫

[2020/06/30]

スタッフ:
天野 恭太郎
カテゴリー:
ショールーム日記
今年も半分終わりました
天野がここのお店に来たのが去年の7月20日からなので
もうすぐ1年です
もう1年?やっと1年?

今回は≪アーカイブ≫シリーズ
2017年3月30日と4月4日、シトロエン中央のブログに書いたものをまとめて加筆修正して焼き直しです。

シトロエン中央は青山と違って健在ですし
探そうと思えば探せますが
まあもう僕の名前も残っていないので

C3のマイナーチェンジモデルが本国でローンチして
(したのか、するのかいまいち不明ですが
予定通りだと4月から生産がスタートして
-既に旧モデルは3月で生産完了している-
そろそろデリバリーが始まっているはず)

まあこのタイミングでC3をもう一度おさらいしておくのも悪くないかと思いまして

じつはずっと前からやろうと思ってたのですが
まとまった写真が見つからなくて
(自分でコンセルバドワールで撮った写真さえ見つからない!)
今回は拾い物の写真だけで、ちょっとお茶を濁しますね


それではまいりましょう!








戦前のC3はまたの名をプチシトロン
シトロエン≒シトロン(レモン)というシャレを使って
小さなシトロエンの多くはイエローに塗られて街に出て行きました

1922年から26年に生産された社内的には5CVTypeCシリーズの一つです
大量に生産された最初のシトロエンになります
856ccのエンジンに3速ギアを組み合わせたこのモデルは1922年パリのモータショーでお目見えしました。
圧倒的なコストダウンと軽量化により
初の民主的な自動車と言われ
(それまでは自動車は一部の大金持ちだけのものだった!)
また女性のユーザーの獲得に成功し
世界初のレイディースカーと呼ばれました
年色々調べたのですが、同じ5CVでC2とC3の区別が良くわからないのです
より軽量版なのがC2なのか長いホイールベースがC3なのか
派生車種がたくさんあって
資料の多くがフランス語なので読み砕けませんでした
すみません、勉強しておきます。

5CVの生産は1922年に始まり1925年にマイナーチェンジ
(その前23年にモノコックの変更を行っているみたいですが)
を経て1926年に生産が完了するまで80759台作られました。
小さなモデルの系譜としては
先代のC3/DS3(2009年)の前が
C2(2004年)C3(2002年)
その前がSaxo/Chanson(1996年)
さらに前がAX(1986年)という感じになるのでしょうか
もちろんAXの直系としては日本で売られていないC1とかもあるわけですが

LN(1975年)やVISA(1978年)はその前ですが当時はまだ2CVも売られていたので
要するにシトロエンの小型車は時系列的にも遡っても一度すべて2CVに集約されていくという事なのかもしれません



後半は2002年のC3をちょこっと掘り下げます
僕も乗ってました、それどころかC2、C3Plurielと3兄弟すべて持ってたという
大好きなラインナップです
でも第一印象はあまり良くなっかたのです(がーん!)

現代C3の祖、2002年のC3

シトロエンジャポンという会社がその年の3月に出来て
最初に発売された新型車という事で気合にあふれて
期待に胸を膨らませておりました


新型発売に遡る事4年前、パリのモーターショーで発表された
コンセプトカーC3Lumieirが現代C3のスタートになります。

現代の2CVをコンセプトに作られたというふうに聞いています

コンセプトカーC3はセンターピラーなし観音開き、全席取り外し可能
ドアポケットが鞄になる、屋根が鎧戸のようなサンルーフ(しかもクリア)
トランクゲートが垂直に開く、などなど
アイデアにあふれた面白い車でした
99年の東京モーターショーにも展示されました
基本ショーカーはモックアップなので、搬入途中で右側のドアがずれちゃって
右側触るな!って言われてたのを思い出します

垂直に開くトランクゲートはその後忘れたころにDS3CABRIOで実用化されました
技術は繋がっているものなんだと嬉しくなりました。

このコンセプトカーC3と量産車C3は直結しているわけではないです
参考にして量産車を同じ名前で作った、くらいのものです

コンセプトは幅が広くて、背が高くて、かなり短いです
そして頭でっかちなデザインです
このまま売られてたら、それはそれで面白いとは思いますが

色は量産でもイメージカラーに採用されたブルールシアです

そしてこれが量産モデルです
比べると確かにコンセプトのイメージを色濃く残していますが
結果的にはかなり違ったものになっしまいました

デザインセンターに2016年末に行った際にショーモデルの開発の人と話したんですが
基本的にショーカーを作る際には市販の事は考えてないそうです
「こういう車を作れ」って言われて考えるけど、それを量産車にどうフィードバックするかは、私たちの仕事じゃなくて別の部署になる、って言ってました

たしかにそうでないと自由な発想は生まれないですね
シトロエンのショーカーが量産されなくてショーカーのまま終わる事が多いのも、量産されてもものすごく時間がかかるのも
全く別の車になってしまうのも、そういう訳なんでしょう
もちろんズバッとはまって、形を大きく変えずに市販モデルになるケースもあります

さて話を2002年のC3に戻しましょう
最初は1.4L 4ATと1.6Lセンソドライブの2本立てで
それぞれオプションによっていろいろなパッケージが用意されてた覚えがあります
特に夏場乗ってられない!って言われた屋根が全部ガラスのスカイルーフは人気でした
色も確か全部で13色くらいありました
扇型のタコメーターのデザインが現代の2CVを標榜した証拠ですかね

2001年のモーターショーだったか輸入車ショーだったかで
量産モデルにかなり近い感じのショーカーの展示もありました
その時はレザーシートで内装はオーストリッチがはってありました
その名残で量産の内装パネルもオーストリッチ風のボツボツの内装になっています
(成り立ちを知らないと意味が分からない感じですが)

個人的にはこのC3の第一印象は良くなかったです
なんか全体に軽薄な感じで、あちこちちゃっちくて
今までのシトロエンとは全く違っていてピンと来ていませんでした

ピンと来てなくても売らなきゃ行けない
何て言って売ればいいのか全く分からなかったので
しょうがない自分で1台買いました、1.6センソドライブの紺でした

買って日常使ってなんとなくわかりました
この軽快感がこの車の魅力なのだと思いましたね
新しい世代の小型車として他のヨーロッパ車とは物差しを変えて
「のんびり・ゆったり」のシトロエンはこのあたりで確立された気がします
重いところの無い、軽量でシンプル
現代の2CVは自動車の枷をひとつ外して新しいフランス車の提案だったと
思います。
2006年にマイナーチェンジをしてすこしだけグリルのデザインが変わり
1.6Lに4ATの組み合わせ
1.4Lはツインカムエンジンになりセンソドライブと組合されました
1.6LExclusiveのシートは素晴らしかったです!

C2やC3Plurielなどの派生車種もありそれぞれ特徴があり
デザインコンセプトは初代C4や次のC3にも引き継がれたエポックメイキングなモデルとなりました。


2009年に出てきた2代目C3は「丸いC3」というコンセプトは変えず
ヘリコプターから発想されたという大きなフロントガラス
通称「ゼニスウインド」は前方のびっくりする視界を得て
ファンカーたるキャラクターを確立しました。

日本にはゼニスウインド仕様しか入っていませんが
ヨーロッパではゼニスウインドはオプションで普通のフロントガラスの車もあります。

現在ではドライブレコーダーや自動運転や自動ブレーキのためのセンサーやカメラなどがルームミラーわきにたくさん装備されるため
こんなガラスの車は作れません
またガラスの生産精度もシビアで通常自動車部品はリスクの分散とクオリティの確保のため複数のサプライヤーからの供給が基本なのですがこのガラスだけは独占供給でした
さて2020年C3マイナーチェンジ版が間もなくです
年内に出るのか来年になっちゃうか
新型コロナの影響で工場も止まってたみたいですし
物流もかなり滞っていますので、今のところ何とも言えませんが

C3はおかげさまで日本でもヨーロッパでもシトロエン躍進の立役者です
売れてる車はキープコンセプト!
ご覧の通り少し目先が変わっただけです
エンジンは今年の頭の輸入分からすでに新燃費基準対応に一足早くなっています。

今のモデルの在庫も少なくなってきました
限定車が出るそうですが
待っていられない方!
シトロエン横浜緑が全力であなただけのシトロエンのお買い上げをサポートしますよ!

それではお店で会いましょう!




次回のアーカイブはシトロエン創設時からアンドレ失脚、ミシュラン傘下時代の話を少しだけ


夏は“冷ややっこにみょうがを乗っけてビールに限る”の天野でした。

天野 恭太郎

今年ももうすぐ折り返し!

[2020/06/19]

スタッフ:
天野 恭太郎
カテゴリー:
ショールーム日記
梅雨ですね

今年は威勢よくバシャバシャ降る梅雨かと思っていたら
今日はしとしと1日中で
仕事柄店内と外を行ったり来たりするのですが
ちょっと外にいると傘をさしていてもべちゃべちゃです

ご挨拶が遅れました、天野です
第三京浜と同い年!東京オリンピックイヤー生まれです
免疫力が比較的強い(らしい)O型(雑種)です

先月は時短だ避密だ待機だと結構自宅にいる時間があったのですが
特に何かするわけでもなく
もっぱら「夢見る機械」という曲の間奏のギターソロをコピーして遊んでいました
(音取ったりするのにYoutubeってとても便利!若いころカセットテープを再生!停止!巻き戻し!してたのが嘘のようですw)



今日からプロ野球も始まって、少しづつではありますが日常が戻って来つつあります
まあ、大丈夫か?というところもありますが
新型コロナウィルスとは現時点では共存していくしかないのでしょう
抗体を持つ人が6割を超えるとそれ以上は拡がらないらしいですし
我慢比べのようになってきましたが



さて、気が付くと6月もあと10日!もうすぐ折り返しです

自動車屋的には半期の決算月です


展示車入れ替えました、ここにきて大人気のC3エアクロスはこれまた人気のナチュラルホワイト+オレンジアクセント!
いちばんパキッとして個人的にも好きなカラリングです

こんな状況でなかなかお客様にも来い来い言えないですが
来ていただければいいことあります!

皆様のご来店を心よりお待ちしています。


本当はアーカイブで「戦前のC3と現代のC3」をやろうと思ってたのですが
写真がいろいろ見つからなくて、ちょっと時間かかってます。
天野でした!